久慈、大豊、関川…2001年ドラゴンズの豪華二軍
会社にある過去の新聞を調べたらあった。中里の紅白戦初登板は01年5月5日、3イニング4安打2失点。
「あの時の2軍はすごかった。関川さん、久慈さん、ティモンズ、山崎武さん、大豊さん…。それが相手ですもん」
確かにかつての優勝メンバーがずらり。その直前、4月24日のウエスタン初登板を2イニングパーフェクトで飾った“スーパールーキー”が、あっさり味方に打ち込まれていた。
高江洲は初登板を2イニング3失点で終えた。いつの時代も、新人に対する先輩の洗礼はキツイ!?
(原田遼)
中スポに出ていた久慈さんの話題です。いや、久慈さんの話題というか、中里の回顧話の中に久慈さんの名前が出てきただけなんですが(笑)。
しかし、中日ファンであれば覚えていると思いますが、星野監督最後の年となるこの年(2001年)、早々と優勝戦線から脱落した中日は、ベテラン勢を二軍に落とし、試金石として若手を一軍で積極的にどんどん使っていくんですよね。
その影響を食らったベテラン勢が二軍に大勢いて、久慈さん、関さん、大豊、山崎、渡邉、大西、ティモンズ、アンロー、武田、川崎、今中…と、そうそうたるメンバーがそこに名を連ねていました。福留も一時期二軍で調整していたし、春先には李鍾範もいました→その後退団。
しかし二軍がこの豪華メンバーになったのは夏場以降で、中里が回顧している春先のこの時期というのは、一軍で出番の少なくなっていた久慈さん達が調整がてらナゴヤ球場で行われている二軍の試合や紅白戦に飛び入りで参加していた事がよくあったので、それと勘違いしているのだと思います(久慈さんが二軍に落ちたのは7月のオールスター休み中だし)。
それにしても…懐かしいなあ~。この年は、久慈さん(この頃の登録名はテル)や大豊を観るためにナゴヤ球場にも行きましたよ。真夏の炎天下の下、直射日光の当たるネット際で久慈さんや大豊、そして当時ファームで頭角を現し出していた蔵本(英智)に向けて、汗だくでカメラのシャッターを押し続けたものです。
この年、オールスターを挟んで久慈さんは二軍落ちし、結局その後一度も一軍に呼ばれることなくペナントは終幕してしまいます。しかし、自分はオールスター後もドームではずっとテルユニを着てドラゴンズを応援していました。久慈さんの一軍復帰をただひたすらに願いながら…(あ、ギャラードユニも1回くらい着てたかも…)。中里の回顧文を見て、自分もあの頃の懐かしい思い出に浸ってしまいました。
輝かしい(?)青春の1ページです。